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山の人、海の人、里の人?そもそも同じ人間という前提で考える。

2024.04.19
山の人、海の人、里の人?そもそも同じ人間という前提で考える。

 とある、3月の日曜日。神戸 六甲山の麓に、林業を応援する人や漁師として活動する人、オーガニックを推進する人、環境活動をする人、伝統工芸を受け継ぐ人、エシカルファッションを提案する人、生産者と消費者をつなぐレストランをする人などなど、長野と神戸を中心に全国各地から20名ほどの様々な肩書を持つ人たちが集まりました。彼らの目的は、”(神戸の)森と里と海のつながりを、みんなで学び考える”こと。

 きっかけは、長野県伊那市で開催されている業界を超えて森の価値を再発見・再編集して、豊かな森林をつくることを目指す学び舎『伊那谷フォレストカレッジ』の講師として、神戸で山と街をつなぐ活動を続ける山崎さん(SHARE WOODS)が登壇して以来、長野と神戸でゆるやかに続いてきた交流のなかで「森の問題を森だけに閉じるのではなく、いろんな人と共に考えることが大切」と議論が白熱したことから。何度か長野と神戸を往来するうちに、漁師であるKOBE PAIR TRAWLINGSの尻池さん、糸谷さんとも意気投合し、みんなで一緒に山と海、そして里とのつながりを考えていきたいと今回の企画がはじまりました。

 海のない長野県ですが、“日本の屋根”とも呼ばれる標高3,000mクラスの高い山々が連なり、それらから流れる川は日本各地の水源を潤しています。一方、神戸は小さな街のなかに山も海もあり、歩いても1時間足らずの距離。神戸の山と海を歩きながら様々な活動家と出会い、混じり合うことで見えてくるものがあるかもしれない。そんな想いで“森と海のつながりを考える1日”として『出張フォレストカレッジin神戸』と題された1日の幕が開けました。

まるで、山と海の結婚式。
顔見知りになり、同じ空気を吸うところからはじめる。

 霧雨がしとしと降るなか、六甲山の麓に集まった20名ほどがまず向かったのは、『森の泊まれるシェアオフィス ROKKONOMAD』。海まで続く神戸が一望できる庭で、焚き火を囲み湯気の上がる珈琲をすすりながら、話が始まりました。

 まずは、自己紹介。ただの自己紹介にあらず、それぞれの立場から見た森や海への想いや抱えている課題を共有する熱をもった時間となりました。今回のイベントの主催者のひとりである漁師歴28年の尻池さんは、「普段漁師として働いているとなかなか外とのつながりを持てないし目線を向けることもない。けれど、地元の海に水質の悪い環境でも生きられるボラさえいなくなっている現状を目の当たりにした時、海のことだけを考えていては駄目だと感じた」と、力強く話します。「何をするにも関係者が足りない、つながっていかないもどかしさを感じていたなか、今日という日が迎えられたのが何より嬉しい。山と海の結婚式のようです。」と、参加者の心を温めてくれました。

 それから、山崎さんが神戸の山の状況を説明し、話の種を蒔きます。森林面積が約40%を占め、その大部分が多様性に富んだ広葉樹が息づく神戸ですが、実は林業を営んでいる人がおらず森林組合もないため、山の資源がなかなか活用されていない。木材資源を活用する仕組みがないのであれば、山の手入れが追いついていかないのも当然のこと。かつては、防虫剤や防腐剤としてクスノキの樟脳(しょうのう)をとっていたりと木材以外の関わり方もあったといいますが、今はそんな需要はほとんどありません。山崎さんは、業界だけの話にしないで需要と供給のバランスがまわっていくように山と関わっていきたい、と想いを共有してくれました。

 手っ取り早い解決法なんてない。ましてや、山の変化が見えてくるのは100年単位のこと。まずは、合理主義のもと業で分断されることの多い社会のなかで、“同じ釜の飯を食う”ように、立場を超えて同体としての帰属意識を持つことの大切さと、それが今の社会でそう簡単でないのかもしれないことを感じさせられたはじまりでした。

港でなく、海をみる。
目線を裏側までもっていってみる。

 漁師の糸谷さんは、“綺麗な景色=自然”というのは人間のエゴではないか、と口火をきります。埋め立てが進んだ自身の現場である海にも、自然はある。山とのつながりの前にまずは浜同士のつながりも大切にしなければと、神戸にある7つの漁港の漁師たちで海の清掃活動や子どもたちへの食育活動をするなかで、身近なところにある自然や生き物の存在に改めて気づいていったと言います。“里海づくり(*)”という意識から、海を観察し続けると、絶滅危惧種だった生き物が少しずつ増えていき、自分たちにもできることがあるということを実感できたのだとか。目の前にあるのは港である前に海であることに気づいて欲しい、と強い口調で話します。

*里海づくり…水産資源だけでなく、景観、憩いの場、食文化、観光など多くの恵みを享受できる豊かな海を目指して、人の手を適度に加えて海域・陸域を一体的に管理する手法

 六甲山は神戸市の北部に位置し東西約30kmにかけて山々が連なり、北側は日本海、南側は大阪湾、そして東西へも川がのび広がっています。川は山のなかを通り土壌のミネラルとともに海へと流れ込みます。西側の米どころ、播州平野の農村から流れ出たところの漁場で獲れる海苔は、特産品と言われます。農村部の栄養が水に豊富に含まれており“山の恩恵”を海がたっぷり受け取っているからだそう。そんな話から、改めて山と海が私たちのおいしい食卓をつくっていることに気づかせてもらえます。

 美しいアルプスに囲まれる長野の伊那谷で森の関係者と一緒に働くフォレストカレッジ事務局の榎本さんは、もともと意識は山に向いていたそうですが、神戸の漁師たちと交流した際に「長野は日本の中心で、そこから日本中に川が出て海に繋がっているから、長野から海を意識してやっていかないと」と背中を押され、目線が上がって背筋がのびたと言います。

 木を見て、森を見ず。目の前の課題に真摯に向き合うとともに、時に自分の立場を変えてみたり鳥の目になってみたりするように視点を変えて物事を捉えてみると、見えてくるものがある。私たち自身が、森と海のつながりの一部として生きていくことの大切さを教えてもらったように思います。

まだ見ぬ山と海の毎日のために。
すぐ買えるものではなく、すぐ買えないものを選択する。

 ROKKONOMADから六甲山を散策した後、尻池さんの活動拠点である駒ケ林漁港へ移動。お昼ご飯に、尻池さんと糸谷さんが獲ったシラスをたっぷりのせた丼をいただきました。実は兵庫県、シラスの水揚げ高が全国1位で5月頃に解禁され多い時は1日4〜5トンになるのだとか。

神戸市民も知らない人が多いという実情。同じ大阪湾で獲れたシラスでも、淡路島で水揚げされたシラスは“淡路島産”と謳われますが、神戸で水揚げされたシラスは“神戸産”ではなく“兵庫県産”として流通されるそうで、それは神戸産と聞いた人が工業地帯の海をイメージしてしまい購入から遠のくのを防ぐためだそう。尻池さんたちは、地元の人に神戸には豊かな海があって美味しい魚がいるのだということを知ってもらうため、『神戸夜明けのしらす』と名付けて漁師仲間でその存在を知ってもらう活動をしたり、マーケットでシラス丼をつくって販売したりと、関心をもらってもらうために働きかけていることを話してくれました。

 山の木々に囲まれ少し湿っぽい土の香りを感じていた朝から、日曜日の昼下がりの閑静な漁港に並ぶ漁船と磯の匂いへの変化に、神戸の山と海の近さを改めて実感しながら、おいしいシラス丼でお腹いっぱいになった参加者たちは尻池さんと糸谷さんからの海を起点とした山とのつながりの議題に耳を傾けます。

 神戸港に面した大阪湾では、六甲山系からの豊かな水によって、シラスやイカナゴ、カレイ、エビなど様々な魚介類が生息しています。しかし近年、漁獲量や魚種の減少が顕著となっているそうで、その理由のひとつが工場や住宅のための埋立地やゴミの最終処分場、埠頭、空港などが建てられて潮流が変わり、プランクトンや魚の生態環境に影響を及ぼしているからだと言います。海に関わる大規模な工事の前には潮流シミュレーションなどの調査を行いますが、最終的な国の決断は漁業を生業にする人たちに漁業補償を支払うことでそれを決行するのだそう。漁師の仕事はずっと続いていくものなのに、と尻池さんと糸谷さんは言葉を漏らします。漁業補償と引き換えに魚たちのいる海を渡す、それは長い目で見ると、漁師の生活や海産物の恩恵を手放すことにもなるのかもしれません。行き場のない大量のゴミを出し続けたり、物質的な豊かさのために大量に安く運ぶことのできる海上輸送のための港を必要としたりと、生活するうえでの選択や行動が海の未来に繋がっているのではないのでしょうか。

 欲しい物が簡単に手に入る利便性を追及した今の時代、目先の消費や購入が未来の生活にどのように影響するのか、立ち止まって考えてみたい。海や森は、すぐ買うことができない。未来のことを少しずつ考える、気持ちの余白を持つことの大切さを共有していきたいと強く感じました。

コミュニティか、地元愛か。
カテゴライズしないで、個として関わる。

 陽がゆっくり傾きだした頃、製材所の一部を改装して生まれた『ヴィンテージ家具 北の椅子と』にある2階のカフェへ移動し、“森・海・里のトークセッション”がスタート。フォレストカレッジ企画者で森林ディレクターの奥田さん、山と街をつなぐ活動を20年近く続けている山崎さん、浜同士をつなぎ山への想いを馳せるKOBE PAIR TRAWLINGSの尻池さん、そして神戸市職員であり北区地域協働課の山田さんの4名が話を繰り広げます。公開されたトークセッションの場には、環境に関わる人や林業関係者、登壇者の活動に興味がある人たちなど県内外問わず総勢40名ほどが集まりました。

 トークのなかで、森と海とを越境するためにどのように個々が関わっていくかのひとつの提案として、“カテゴライズせずに、人の顔を見ることで社会のなかでの存在意義を感じられるのでは”という投げかけがありました。

 「漁師という仕事をするなかで魚を獲った後に届けるのは流通の仕事と割り切り、食べる人の顔を見たことがなかったけれど、今はシラス丼を自身でマーケットで売る機会などを通して人が見える。大柄で熱心な人、喋りやすいムードメーカーみたいな人、職人気質な人、当たり前だけれどいろいろ。それに買う人も自分たちの口にはいる魚をどんな人が獲ってきてくれているのかを知ることができる。」と、尻池さん。直接会うことで、業という枠のカテゴリーを超えて人としてつながれる楽しさと大切さを実感していることを話してくれました。

 話を受け、奥田さんは「業界を超えた接点がなかなかもてない森の中(製材所)で働く人たちが、越境しながら山のことをみんなで考えるフォレストカレッジを通して、自身の活動を知ってもらうことが嬉しそうで、人と会っていくことで自分の価値を見ることができて、社会のなかで活動している実感を持つことができるのでは」と、森視点からも話してくれました。
 神戸での地産地消を推進しようと2015年から食都神戸を掲げ、ファーマーズマーケットや地元の食材が購入できる拠点の推進などを続けてきた神戸市役所の山田さんからは、「神戸産という謳い文句では買わなくても、知り合いやから買おう、はあると思う。そういう人間関係が先に必要なんじゃないかな。コミュニティなのか、地元愛なのか」と、話します。所属が違っても同じ想いを持って向き合っている人がつくったものであれば、それを選びたい。顔の見える人から買おうという行動の輪が地域の中で広まっていくことが、カテゴライズせずに越境していくうえで大切だと話してくれた言葉は、今回の議題の重要な軸であると感じさせられました。

次に継いでいくために。
森や海で遊ぶことも、第一歩。

 森と海、そして里のつながりを考えようと開催された今回のイベントの主催者であり、トークセッションで数々の種を投げかけてくれた山崎さん、尻池さん、糸谷さん、山田さん、そして奥田さん。彼らのそれぞれの活動は、拠点も活動内容も異なりますが、同じ方向を向いているように感じました。

 10年、20年、そしてそれ以上の単位の時間軸で動いているそれぞれの活動は、積み重ねてきたことの集積であり、そしてまだまだこれからもみんなで考え続けていかないといけない大切なテーマなのだと思います。数十年という単位は地球規模でみると一瞬のことですが、限られた人生を生きる私たちが今どんな選択をし、どんなことを継いでいけるのでしょう。

 例えば、山田さんの推進している地域のファーマーズマーケットに足を運び、地元の漁師さんや農家さんと話しながら地元の食べ物のことを知り生活の一部にしていくことや、尻池さんや糸谷さんの活動のような食育活動や学び場づくりに協力的であることも、想いを継ぐひとつの方法なのかもしれません。

 また、木材資源として以外の関わりで消費者という肩書を超えて森と関わりを持つためには、遊ぶように自然に触れてみるのもひとつなのかもしれません。森で虫が集まる木を見つけたり、変な形の葉っぱを探したり、水辺の生物の絵を描いたり、砂浜で貝殻を拾ったり。どんなことでも自身の感覚で感動したり楽しいと思えることを大切に森や海での知的好奇心を高めることは、子どもも大人も関係なくできる大切な継承の一歩になるのかもしれないと、今回感じさせてもらうことができました。

 “早く行きたいなら一人で行け、遠くへ行きたければみんなで行け”というアフリカの諺のように、年齢や肩書、拠点も超えて、50年後、100年後の未来へと継いでいけるように、今できることをみんなで話し合いながら行動していきたいと思います。

取材/執筆:株式会社KUUMA 濱部玲美/北田愛

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