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自然を活かす「ものづくり」とは|前編

2021.02.03
自然を活かす「ものづくり」とは|前編

信州伊那谷で、2020年11月に開講したINA VALLEY FOREST COLLEGE(https://forestcollege.net)。「森に関わる100の仕事をつくる」をコンセプトに掲げ、業界を超えて森の価値を再発見、再編集して、豊かな森林をつくることを目指す学び舎です。
「森と暮らしを近づけ、豊かな森に戻したい。森林業界に止まらず、他業種の方々と連携し、森の価値について考えていきたい」。
そんな想いに共感した、様々な立場、職業を持つ受講生が、日本全国、海外からも集まりました。
2020年度の授業は、オンライン開催で、全6回を予定。

12月5日、第1回目の講座「森とものづくり」が行われました。
講師は、デザイナーや企業と地域の家具職人をつなぐ「飛騨の森でクマは踊る」の松本剛さん、材木屋の三代目でありプロダクトデザイナーでもある丸尾有記さん。地域プレイヤーは、伊那谷の木でものづくりをする「やまとわ」の中村博さん。

今回は、前編です。
ゲストの2人が、伊那谷のものづくりをインプットする時間として巡った「伊那谷ツアー」では、地域プレイヤーの中村博さん、創業154年の酒造メーカーである「株式会社仙醸」黒河内貴 社長のお話を伺いました。

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業種は違えど、ものづくりの根っこは一緒

今回のテーマは、「森とものづくり」。フォレストカレッジが開催されている伊那谷の森とものづくりとは?はたまた、伊那谷の歴史あるものづくり「酒造り」とは? 森と森じゃないものを掛け合わせたくて見えてきたのは、ものづくりに共通するエッセンス。

(やまとわwebより引用/https://ssl.yamatowa.co.jp/

豊かな暮らしづくりから森づくりを目指す、株式会社やまとわ

森が健全じゃないなんて、嫌だ

郵便局員から29歳で家具職人の道に入り、23年。当初は、「家具界で王様と呼ばれる北米産のブラックウォールナットを使いたい」という高級素材への憧れや、1枚200万円もするようなの一枚板を使った建具など、ある種、当時の業界の王道の中でものづくりをしていたと振り返る中村さん。

素材である木に着目するようになったのは、25年以上続き今に至る、伊那谷のKOA森林塾という木こり育成講座を受講がきっかけでした。「森が健全じゃないと水がおいしく飲めなくなる話や、日本には木がたくさんあるのに、海外から輸入している話を知りました」。

木でのものづくりが自分の仕事。「木が育まれる森の環境が健全じゃないなんて、どうしたらいいのだろう」。そんなことを考え始めた2005年頃、この時から、「家具職人として、世界の森林にアクションをとりたい」と考え方が変わったといいます。ものづくりへの考え方が、シフトチェンジした瞬間でした。

伊那谷の地域材だけを使うと決めた

わざわざ東京の新木場に出向き、輸入材を買って家具づくりをしていたという中村さん。考え方を変えてからは、まず、自分で山に入り、木を伐り始めました

「当時、印象的だった出来事は、吉野杉のツアーに参加した時のこと」といい、「吉野の人工林は400年生のものがメインで、200年生は間伐します」といわれ、伊那の仲間とともに途方に暮れたそう。同じ国内で、立派な人工林が育てられている一方、「伊那谷の森には、通直で綺麗な木は一本もない」と感じていたところでした。正確にいえば、奥山に入れば、暗がりの中ですーっと伸びた木はあるかもしれない。でも、近くの森にある、手に入りそうな木は、クネクネ曲がったものばかり。

それまでは、最良優良材で家具づくりをしてきた中村さん。電動のノコギリを入れれば、スーッと綺麗に割れていく。一方、地域材を使い始めてみれば、ピューっと両側に割けて、予想もつかない姿に割れてしまう。ノコギリの刃を挟み込んで止まってしまうことも。「あぁ、これは大変だと正直思いましたね笑」と、振り返ります。

「でも何とか、地域材でものづくりができないか」、家具職人であるプライドが、自分を突き動かし続けます。

木のクセと、職人としての技術を活かす

一本一本それぞれの個性があり、いうことを聞いてくれない地域材。それでも中村さんは、「自分は木工という技術を持っていたので、その技術を活かして、木のクセを汲み取った上で、木工をしようと思った」といいます。

家具づくりの過程において、木材を天然乾燥した後に人工乾燥させているそう。「天然乾燥の段階で木を捻らせる。とにかく好き放題狂わせ、歪みを抜きます」といい、屋外で天然乾燥させることで、木の狂いを抜くことがすごく大事だと、力を込めます。

市場で売られている人工乾燥のみの木は、切ったときにバッと狂う時があるといい、「天然乾燥で狂わせて、そのあと人工乾燥機にいれた方が、狂わないんじゃないか」と思っているそう。

機械だけに頼らない分、手間もめちゃめちゃかかるし、歩留まりが悪いものも出てくるといいますが、中村さんは自然を活かすやり方を選んでいます。そして、重ねてきた家具職人としての技能が、その方法を可能にしています。

アカマツとの出会いが、人生を動かす

長野県の地域材は、カラマツが有名。伊那市も同じで、1番がカラマツで2番目にアカマツという珍しい地域。マツが多いエリアは、日本でも数カ所です。

地域の木を活かすことを考えると、マツをどうやって使うかが課題になりますが、マツは油分が多く、曲がりやすい樹種。家具にはあまり向いていないとされてきた樹種です。カラマツは加工すれば、ヤニ袋がやぶれて機械にはりつき、掃除に半日を要するような状況」という中村さんの言葉からも扱いづらい樹種であることが伝わります。

当初、広葉樹で家具が作りたかった中村さんは、針葉樹であるカラマツでの家具づくりに対するモチベーション上がらずにいました。裏腹に、県をあげてカラマツをなんとかしたいという話や、カラマツのプロダクトを作ってほしいという話が集まってきていました。

なんだかしっくりこない状況が続く中で、カラマツは針葉樹合板としての利用が増え始めます。カラマツは市場(利用側)が出来てきたこともあり、中村さんは、二番目に多いアカマツの市場づくりに挑戦しはじめます。

アカマツのマツ枯れ病が全国的に問題になっており、長野県も例外ではありません。松枯れ病になった木は、木が変色してしまう現象も起こっていて、市場価格がつかない状況。それでも中村さんは、「カラマツとは違って、アカマツは割と大人しい。ヒノキみたいに加工もしやすいし、甘い香りがしていい木だなって。だんだん、アカマツでのものづくりが楽しくなった」といいます。

「今は価値がつかない、伊那谷の山に豊富にあるアカマツにどうやって価値をつけるか」、いつしかその想いが、中村さんの方向性を決めていきます。

森と暮らしをつなげる会社を起業

フルオーダーメイドの家具にこだわり、お客さんと対面で向き合う関係を大切にしてきた中村さん。「でもいくら、日本の森の深刻さを話しても、伝わらない。家具を作り、お客さんに届けているだけでは、なかなか現実は変わっていかない」。

そんな中、中村さんはデザイナーだった奥田さん(フォレストカレッジ事務局)と出会います。森のことを何とかしたいと考えていた奥田さん。一方、中村さんは伝えることを生業とするデザイナーと一緒になることで、森の深刻さを伝えていけるのではないかと考え、2016年、ともに株式会社やまとわを起業しました。

そこから、想いは加速して醸成されていきます。「メッセージを届けたい。もっと日本中、世界中のみなさんに届くプロダクトを作れないか」。

2019年、「家の中でも森の中でも」をコンセプトとした、無垢の家具ブランド「パイオニアプランツ」をスタート。続いて2020年、日本で古くから使われてきた、伝統の包装材である経木を商品化。「信州経木Shiki」を立ち上げました。いずれも、素材にはアカマツを使用しています。

「経木って今の人たちには、全然知られていない。これは生活の中の包装材なので、暮らしの中でどんどん消費されていく。経木はすごく薄っぺらいものだから、資源が少なくてすむし、加工自体もすごいローエネルギーで作れる。日本でどんどん大きくなる森の木を使っていける」と、期待を寄せています。

「森に対して、環境に対して、自分たちの生活も含めて、アクションがとれるような会社にしていきたい」と、あらためて決意を語ってくれました。

「地域と共にあゆむ、新しい米発酵文化の創造 株式会社仙醸」

■ 歴史ある企業の起業は複業から

日本酒造りの肝である、おいしい水とお米が、豊かな場所である伊那谷には、7つの酒蔵があります。その一つである、株式会社仙醸は、江戸時代末期、明治維新の2年前にあたる、慶應2年(1866年)創業

現社長の黒河内貴さんは、6代目です。大きく物事が変化していた江戸末期、初代の黒河内松治郎氏は、さまざまな商売を手掛けていたそう。「というのは、初代は次男だったんですね。長男は土地を相続して生きていけるわけですが、次男なので、そうはいかない」。

記録が残っているものでは、物流、子供用の胃薬の販売、そして酒造業。「当時、人口が増えていて、食糧が少なかったみたいで、この地域の三峰川沿いに田んぼを作ろうという取り組みもしていたようです」。結果的に、現在の酒造業が残ったといいます。

高遠酒造
地域経済の発展とともに(仙醸webより引用/https://www.senjyo.co.jp/

酒造りの根幹は、米発酵文化を未来へつなぐこと

現社長の代になり掲げた理念、「米発酵文化を未来へ」

なぜ、米発酵文化をつなげていきたいかといえば、「放っておけばなくなってしまう可能性があるから」だといいます。

「お酒の消費は年々減っている、もっといえば、お米を食べなくなってきている。これが進めば、米農家の後継者もいなくなる」、そうやって衰退していくことに危機感を覚えたといいます。

しかし一方、和食は世界文化遺産になり、日本酒の輸出も、海外の日本食レストランの数も増加傾向。長期的には明るい未来が見えているからこそ、「今ががんばりどき」と、感じているそう。

今の時代だからこそ、今あるものを活かしきる

そして、行動指針としたのが、「今あるものを活かしきる」という考え方。背景には、時代が移り変わる中で、変化を受け入れ次の時代を見据える、黒河内さんの柔軟さがありました。

創業以来、高遠の城下町で酒造りを続けていましたが、1984年、現在の土地に移転。同じ高遠エリアでも、三峰川が近い、広々とした場所です。当時、日本酒の市場が増え、生産量を上げるために、昔ながらの手づくりではなく機械化が進められた時代でした。

しかし時が進み、今度は大量生産型の設備が、今の時代に合わなくなることに。人口が減り、消費が減り、価値観が多様化し、少量多品種が好まれ、本物志向へ。変化が求められる中、黒河内さんは、日本酒にとって最も大事な米麹を作る技術に着目。今から3年前、米麹を手づくりに戻す決断をします。

「試行錯誤を経て現在は、大量生産時代の機械化した酒造りの設備もあるし、手づくりの技術も熟練両方できることを、強みにしていけたらいい」と黒河内さん。一見、役目を終えたかのように見えた機械をも活かす姿勢。まさに、「今あるものを活かしきる」ことが、仙醸の強みになりました。

連鎖しながら広がる酒造り

仙醸の代表商品は日本酒ですが、それ以外にも多種の酒類を取り扱っています。一見、別物に見えて、その成り立ちは、連鎖の中でできています

日本酒を蒸留すると米焼酎。樽に入れ香りを付けて、シェリー樽焼酎。お酒になる一歩手前の「もろみ」の状態で詰めると、どぶろく。これにゆずの果汁が入ると、ゆずのどぶろく。

さらに、お酒になる前の工程では、玄米を精米し白米にし、米麹菌を散布して育てると麹に。それを糖化すると、甘酒。

日本酒に梅と氷砂糖をいれると梅酒。そして、梅酒に酵母菌をもう一回足して、シャンパンの同じ製法の瓶内二次発酵をすると、梅酒のスパークリング。

日本酒造りに必要な精米、蒸す、麹造り、発酵、しぼる、加熱殺菌、濾過、蒸留といった工程のなかで、元々あった設備を使い、商品が広がってきたといいます。

地域素材、地域環境をもっと活かしていく

多様な商品開発を進める黒河内さんが、最近、力をいれているのが、ジン。会社を置く、伊那市高遠のコヒガン桜の香りをつけたジン、いわゆるクラフトジンの商品化を進めています

ジンは、穀類などを原料とするスピリッツを蒸留してつくるお酒です。蒸留時に、ジュニパーベリー(西洋ねず)という針葉樹の実と複数種類のハーブなどのボタニカルで香り付けすることでジンになります。ハーブなどは各メーカーでレシピが違いますが、ジュニパーベリーは欠かせません。

黒河内さんによれば、日本でジンが注目され始めたのが3年前くらい。勉強していくと、細かな決まりがなくて、世界中で作られていることもわかってきたそう。

「日本には香りがたくさんあるし、伊那谷にもたくさんあると思った。柚子、紫蘇、山葵、山椒、生姜のような和食の中にある香り、それら全てがジンの材料になる」。

お酒を広く理解し、取り組んでいくのが、仙醸のスタンス。「活かしきるとは、言い換えれば無駄を出さないということ」

最近では、酒粕や精米ででる米粉を地域で活用していく動きもしているそう。「あるものをしっかり活かしていくことは非常に大事だ」と、伝えてくれました。

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\ 伊那谷ツアーで訪れた場所 /

株式会社やまとわ https://ssl.yamatowa.co.jp/

株式会社仙醸 https://www.senjyo.co.jp/

▼ 伊那谷ツアーvol.1の様子が映像になりました!

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